誰かに検索してもらうという責任
インターネットはいわば公共的なものです。誰もが使えて、どんな情報でも参照することができます。
情報の発信は誰でも行うことができるようになっていて、そこには「情報源としての信頼性」という指標はあるもののプロもアマチュアも関係ありません。
誰でもどんな情報も探し当てることが出来るインターネットに情報を公開するということは、その工程、労力以上の「責任」があります。
誰でも情報を発信出来て、SNSを代表するコミュニケーションサービスも発達しています。
誰もが情報の受け手であり、発信者になっているのが現在ですから、そのような自覚が欠けてきている傾向があります。
インターネットにモラルを求める風潮は、インターネットが一般化した比からあります。
1つの議題に関して無数のユーザが議論を展開するBBSの機能などは、インターネット初期から存在し、その中で匿名でのやり取りも頻繁に行われてきました。
そのようなBBSも検索結果として表示されます。
自由に書き記したことが、検索結果で探し当てられることになるのです。これは個人的な日記を記したBLOGでも同じことが起きます。
「見たくなければ見なければ良い」という考え方もあります。表現の自由という考え方もあります。
ですが、そのようなことを笠にして嘘やデマカセが横行したとしたら、正しい情報はなんなのかが分からなくなります。
「誰かが見る」ということを前提にしているのがインターネットですから、個人的なやりとりや誰か特定個人の悪口などは、インターネット上で行うべきではないのです。
個人のブログとはいえ、世界のどこからでも見ることができます。「どうせ見ないだろう、参考にしないだろう」と思っていても、何が起こるかはわかりません。
特にあってはいけないことは「個人情報」の流出です。
簡単にコピーでき、誰もが発信できるのがインターネットです。とある1つの書き込みが一気に拡散してしまうのがインターネットなのです。
それが嘘であっても、真実であっても、拡散された情報は収集がつかなくなります。
現在では著名人のツイッターなどがしばしば拡散されています。良い発現も、悪い発言も等しく拡散されていきます。
著名人としてインターネットで発現することは、もはや匿名ではありません。「誰」ということが特定されています。
一度の失言が、ニュースサイトに取り上げられるようなこともあります。
そのような時代ですから、「何かを発信する」ということはとても重要なことであるということを、インターネットを使うみんなが理解する必要があります。
一度蓄積された情報は消すことはできません。全世界から参照可能なライブラリに格納されてしまいます。
嘘の情報が誰かを惑わすことになるかもしれません。
ホームページを作ったり、ブログを書いたりすることは、この巨大なライブラリに新しい情報を書き込むことです。ましてや、インターネットでビジネスを行おうとする場合、その情報で人にアクションを促すことになります。情報は人を動かすことが出来るのです。他人に影響するということは、大きな責任を伴うということを自覚しなければいけません。
虚偽や不正な記述で、被害を被る人がいたとしても、その人が情報の発信者を訴えることなどは難しいのです。
悪意のある情報を除去する取り組みは続けられているものの、発信者みんなが悪意をもってしまうととても間に合いません。まずは「情報を発信する」ことに対する「責任」を自覚してください。インターネットには「免許」がありません。だからこそ、みんながモラルある取り組みを続ける必要があるのです。